2011年03月14日

東日本大震災と政府の危機管理と教育現場

娘の高校は神奈川県立の某普通科の高校生である。
今日は計画停電の実施も明朝決まったので、
勿論学校は自宅での自習程度だと思っていた。
娘は学校に行こうとしていたが、私は待てと。
通学開始後20分くらい見極めた後
じりじりしていたらようやく自宅で待機の電話を受けた。
実は子ども自身はとっくに携帯メールで通学で出かけるギリギリの
時間で情報共有して知っていた。
小学校もとっくにメールを連絡網にしてる。
今日も電話も通じにくい状況で個人個人が
今まさに頑張っている震災現場が
リアルタイムに届いている、電話を使うなという時に
緊急連絡網が今も電話のリレー。何考えているのかと思う。

痛ましい報道も多い。

最も最悪だったのは本日未明の
官房長官の曖昧ななるべく通学や通勤をさけてのような話。
こちら側被災している国民側の感覚ではない。

生き残るという経験があまりない曖昧な人間や
期末試験を抱えている子供、納期間際の企業人だったら
チャリでもなんでも使って自分が抱えている現場に
行こうとするのが、普通だろう。農耕民族なんだから。
「控えて」では無く、学生が動くと迷惑だから自習しろと
政府が命令すべき事態なんだよ。

私は自宅の隣に事務所と研究棟を構えている。

私は電力の問題もあり、
混乱するので学校に行くのは止めろと言ったが、
次女と神さんは朝悩みながらも出て行ってしまった。

その行動はある意味生物ではない。
彼女達の体に自分を守ることやよりも
組織やシステムに組み込まれていると思った。

明日期末試験実施の連絡があると、夕方長女の
担任から電話が回ってきた。
ただし、無理して来ないでも良い各自の判断に任せるとの事だった。
電話中にTVで長野の緊急地震速報があったので
逃げると断ってから電話を置いて屋外に逃げ
その後何も担任から連絡が来ない。

先ほど校長に厳重に抗議したが
結局は判ってもらえなかったかもしれない。
同じ県立高校でも私の家の近くの高校は
水曜日までは様子を見て自宅学習との事。
なんという危機管理感覚の差だろうか。

明朝の官房長官の記者会見のようなあいまいな意思の
伝え方が今日の計画停電のような混乱を招くのだ。

今はまだ、原発は全く予断を許さない状況である。
学校が数日休みになるだけで、親子離れなど
面倒なパラメーターが相当数減るのである。
計画停電の混乱も大変である。余震も多い。

私は大事な娘を預けている校長に
この数日は自宅待機とし甚大な被害を受けている。
被災者の救出や自衛隊の無事を祈ったり、
福島第1原発の状況を見守りながら
脳裏に焼きつかせることが
もっと大切な教育だろうと進言した。
貴方は自分で決定しているか?危機管理能力は?
過去の原子力災害、広島、長崎、他(第五福竜丸とは言えなかった)、
スリーマイル、チェルノブイリ、その汚染範囲や知見、
明日そのようなあいまいな決定で生徒を呼ぶリスクなど
淡々と説教した。曖昧にしないで明日は通常授業をします。
しかし、もしM7以上の余震が相当確率が高いので、その場合は
このように避難させます。もし原発が最悪の事態になったら
登校はバスを数十台チャーターし風向を見ながら
親御さんがいなくても適切な場所に誘導しますと保障できますか?
と問いました。結局翌日高校は通常授業を実施した。

そして明朝の官房長官の会見や、首相の超観念的なメッセージ、
来ても来ないでも良いという曖昧(あいまい)で
責任の所在の無いような言い方が
最も混乱を招くということを考えて欲しいと話しました。
この校長は私の言うことが判らないのだろうか。

そもそも首相が人任せただから駄目なんだよ。
村山政権と同じだと思う。

私は明日というか、原発が落ち着くまでは
娘を学校に行かせたくない。
日本政治も地に落ちたが教育機関意思決定系統、
命令系統には目を疑う。

父である私が決定します。  

Posted by dynamizer at 19:07Comments(1)TrackBack(0)